English summary of this entry is
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おや、「DISSIDIA FINAL FANTASY トレーディングアーツ」なんてのも出るんですね。vol. 1 に FF IV は入っていませんが今後のリリースには入るでしょう。
さて小説版。
以前、プレビュー読了時に書いた印象でほぼ合ってました。
「ツッコミ所」が本当にツッコミ所になってしまったことも含めて。
「ゲームのノベライズ」の想定読者は基本的に中学生あたりですが、本作の場合はそれに「FF4 オリジナル版(※)も DS 版もクリア済」を足す必要があります。
※:PS版 / WSC 版 / GBA 版でも可。要は旧スクリプトってことね。
描かれているのは FF4TA を前提とした FF4 世界です。
・台詞回しは基本的にオリジナル準拠
(ダムシアンのイベントの一部は CHRONICLES 版か?)
・設定は DS 版準拠
・しかし DS 版でカットされた演出が小説で描かれている
上記3点より「FF4 オリジナル版も DS 版もクリア済」という条件が発生します。
これは憶測ですが、スクエニは手塚氏に DS 版の追加設定のみ伝えた(全スクリプトは提供しなかった)のではないかと。
で、多分手塚氏は オリジナル版はクリアしていて DS 版はクリアしていない。
クリアしていればジオット城戦の「アレ」がなくなったことに気づくはずだから。(たとえ「魔導船でのセシル・ローザのやりとり」の変更に気づかなくても、アレは強烈すぎてそう忘れられるもんじゃないぞ)
小説版 FF2 『夢魔の迷宮』のようなストーリー改変はなく、ゲームシナリオに沿っています。(多少のアレンジ、追加はありますがスパイス程度にとどまっています)
ただしゲーム中の場面をそのまま描写するのではなくその直前・直後のキャラクタの内面を描くという手法が見られます。
そのためゲームをクリアしている人でないと「何が起きたのか」がちょっと把握しにくいかもしれません。
文字数を喰う場面を回避するためかな。戦闘描写も少ないし。
エッジの登場時期が終盤なため登場時間が短いことへの詫びなのか、エッジ・リディア的表現が多めに描かれている点はエジリディ好きな方々への朗報。
(本作での描写がイメージにそぐうかは人によるので不問)
どうやら手塚氏はカインやゴルベーザに同情的というか思い入れがある気配。
私は手塚氏の他の著作を読んだ事がありませんが、
・この総文字数で
・ゲーム本編のシナリオに沿って
・しかも FF4TA キャラも盛り込んで
書けと言われた時点で両手をもがれたようなものでしょう。
「『作品』として評価するには著者が自由に使える字数が余りにも少ない」というか
「提示された条件をクリアしたなら『仕事』としては完遂。以上。」というか。
「執筆上の制約」が透けて見えてしまうため、私には本作に──少なくとも手塚氏に──良い悪いの評価を行うことができません。
例えば本作中に「美しい面立ち」という表現があります。
常の私なら「そういう表現しないで具体的描写をしろ」と思う所ですが「上下巻でゲームシナリオ全て(しかも FF4TA キャラ付き)では仕方ないか……」と深い深いため息。
決して「どうしようもない駄作」ではありません。
※ここでいう「どうしようもない駄作」とは『リアル鬼ごっこ』のような「基本的日本語文法ができていない」レベルを指すので注意。
……といっても「熱に浮かされる」とすべき所を「熱にうなされる」としてしまっている辺り、日本語があやしい部分もありますが。ありゃ誤記ではなく誤植ですよね?
同時に「他者に『これは読め!』と勧められる作品」でもありません。
手塚氏にもっと時間と紙面が与えられたバージョンがあるなら読んでみたいな、とは思います。FF4 どうこうの前に手塚氏の名誉のために。
口絵や挿絵を見るに本作の制作期間はそうとうに短かったものと推察できますから。
# 残念ながら口絵・挿絵は期待するべからず。
想定読者が中学生だと仮定するなら「読者が怒るほどに簡素な」ものです。
ほら、中学生の頃ってきらきら美麗な挿絵が好きだったでしょ?
(有り体に言ってしまえば、挿絵がきらきら美麗なら若年層読者の何割かは騙せた)
作者ではなく編集サイドに対してなら大声で言いたいことがあります。
損益分岐がシビアなのはわかるけど、
せめて本作の 1.5 倍程度には文字を使わせてあげてよ。あと校正はしっかりやって下さい(涙)。
FF4 みたいに「初リリースから長い時間が経っている」作品は当時の子供(今の成人)も読むのだということをお忘れなく。
【個人的に楽しめた点】
- 本作のダムシアン両陛下とアンナさんはめっちゃくちゃカッコいいです。
- トロイア側が「他国の民間人1人のために国の宝を貸せってか?ああん?」という反応を示すのは個人的に好印象です。普通はそうだわな(笑)。
- 封印の洞窟イベントの解釈は今まで同人でも見なかったものなので新鮮でした。
[ 追記 ] 同人で同様の解釈がなされたものも以前より存在するとのご指摘をいただきました。感謝。私が出会わなかっただけのようです。 [ /追記 ]
- ゾットの塔でゴルベーザが凝らした「趣向」。これは人によりけりですが私は「うまい!」(いいアレンジだ!)と膝を打ちました。
- 一番嬉しかったのは 下巻 P 222 のラスト5行。ベタで陳腐な演出かもしれませんが「親友だと伺わせる描写」がミスト以降は希薄な FF4 本編に対する溜飲が本作で少し下がりました。
「深い深いため息」をついた「美しい面立ち」について、一読者としては「いっそ美形であるという情報自体を削ってしまうべきだったのでは」と思います。
しかしセシル好きの身は「ああやっぱりキレイな顔なのか」と苦笑込みでニヤリ。
「凛々しい」「端正な」「整った」などでなく「美しい」のかい!
【個人的に「ネタとして楽しむ」方向性で読んで正解だった点】
- カインに花嫁姿を見せにくるローザ
(しかも「あなたに最初に見てほしかった」とまで言う)
- パロポロテラの3名は「運命」を諾々と受け入れる(自己決定を積極的に放棄する)
- 30歳にもなって「私のことを理解してくれる人だと思ってたのに」と、一方的な期待が外れたことに失望してるゴルベーザ
(いや、術の影響とか育ちとかから弁護できなくもないけど)
- 最後の最後の別れの時に「あなたは僕が憎かったのか?」と質問するセシル
- 「これ以上、自分が世界に影響を及ぼしてしまうのが怖いから」という理由で子供らを完全放置していた最低なクルーヤ
(それが理由ならゴルベーザを放置するのは許されないと思うんだ)
……などなど、かつて FF7 が「エヴァンゲリオン風味」と揶揄されたことを彷彿とさせる「自意識肥大」な人物描写が散見されるのが何とも(苦笑)。
この自意識肥大っぷり(カインについては具体例を挙げるまでもない)を含めて「対象読者は中学生」と判断しました。
私にとって FF4 というのは「無様にあがいてわめいてはいつくばって、それでも最後は自分で自分の道を決める」というイメージなのですが……どうも本作の一部男性陣は自己決定権を放棄しているというか「自分の現在(の不幸)しか見ていない」ような印象が。
「FF4のテーマは『心』である」と時田氏が解説にて明記。
以前
セシル100質(Q. 39)で「(クルーヤの宿題の)シナリオ上で与えられている解は多分『心』」と発言した過去があったので恥をかかずに済みました。
で、2009年03月には FF4TA 小説版も出るそうですよ。