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私信
Reply to: トライヴューナル(旧:アンワイアドプラグ)「チラシの裏」記事 ID 83

「不幸燃え」という単語を言い出してしまった人間としてはフォローしたほうがいいのかなあ。あまり深く(真っ先に「俯角」と変換するか……)考えて使ったわけではないけれど。

以下、全く論理性のない「ただの感覚」。


んーと、何というか、少なくともクルーヤ氏、あるいは「家族」として存在していた頃のセシルやゴルベーザを描く時は「救いの無さ」とか「喪失感」のようなものが通奏低音として存在するかなあと。そう思っただけなんですけどね。
どんなに幸せな話を描いたとしても、それが「失われた過去」になってしまうことを誰もが知っているから。
エッジ・リディアに関しても設定の上では「リディアは夭逝する運命である」となっているんだけど、それはゲームシナリオからは読み取れない部分(『設定資料編』を読んでいる人でなければ知らない部分)だから「通奏低音」にはなっていない気がするんですよ。

ついでに言えば、私の知る限りファンフィクションでのクルーヤには「追憶」という属性(※)が与えられてることが多い気がします。端的に言うとクルーヤとままんのラブコメというのは非常に少ない、ような、気がする。
んで、エッジ・リディアだとラブコメ度が(少なくともクルーヤ・ままんと比べれば)高いよなあと。

※たとえば「妻は既に他界している」というファンフィクション内の舞台設定であったり

でもそれは当然と言えば当然でしょう。
FF4ファンフィクションとしてクルーヤたちを描けば「なぜセシルは孤児になったか」の説明に至るのは自然な流れですから。
ただ、なぜわざわざそれを描くのかってーと、単に「ストーリー上の隠れた部分を描きたいから」だけではなく、そういう「救いの無い/追憶/失われたもの」モチーフと作者の親和性がもともと高いからじゃないか?と、そう思うわけです。
それを「不幸燃え」と表現するのが正しいかどうかはともかくとして。

例えばそうだなあ、仮に私がエッジ・リディアを描くとしたらリディアは「人の世ならざる身」になってしまうだろうなあ。
人として夭逝する時に、さて彼女は人として大きな魂の御許へ行くのか?それとも幻界の住人に身を変えてエッジと子供とエブラーナを見守るのか?エッジが息を引き取ってもずっと?
……こういうモチーフ、エッジ・リディア好きの人はあまり描かないでしょ。
ゼロではないにしても。

あるいはこう考えてみる。月の民好きは
・「恋」モチーフとの親和性が低い
・「失われたもの/喪失」モチーフとの親和性が高い
のどちらかである。とか。
ああ、問題はこの「親和性」が「作者による作中人物への感情移入」にあたるのかどうか、ってことなのか。
私個人の感覚としては
「親和性が低い=知らないモンは描けない」
「親和性が高い=その感覚(に近いもの)を知っている」
共感と哀れみの間にはちょっと違いがあると思うけど、知ってるモン「だけ」描いてたら「テメエの内面世界そのまま出してるだけ」と見なされても文句言えないかあ。
私信 | permalink | comments(2) | trackbacks(0) | by すばる
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コメント
定義(言葉を用いた意図)のご説明ありがとうございます。
(ご説明いただいた感じ、私が「悲し萌え」と呼んでおりますものに近いかな?と思いました。<「読者として持っている知識」が萌えの前提になるので)

んで、あとは余文なんですが(汗)
>「追憶」属性
納得です。サンプル数が少ないのがしょぼりーぬな所ですが(ぐすん)、およそ9割に関して同意します。(1割は単なる「例外」ですしね)
>感情移入と哀れみと心強さと
知っているものだけ書く=己の内面世界を描く、に関しては、そもそも創作活動ってそんなもんじゃないかなと思っておりますので(知らないもんはどうひっくり返ってみてもやっぱり知らないですし/爆)、否定的な感じは受けないのですが、問題となる部分というか…
何というか、「あくまで私は」という話になってしまうのですが;;、
「感情移入したキャラクターを問答無用で依怙贔屓(ことさら幸せにするのも、ことさら不幸にするのも同じ)」
するようになった時点で、「んなもんチラシの裏に書いとけ表に出すな」になるのではないかなぁ、と思っております。

うーん、
キャラクターの悲しみを我が事のように感じる、のが「感情移入」
キャラクターの悲しみを他人事のように見ている、のが「哀れみ」
てな感じでしょうか。(私の全く独自解釈ですが;;)
んで、作者として正しく感情移入しているのならば、「○○(キャラ)ったら可哀相!」類似の言葉は出てこないと思うんですよ。
「萌え」は記号化=対象の「モノ」化であるという定義の上からいくと、作者がキャラクターに萌えちゃっちゃったら至極マヅイですよね?(「感情移入の対象」として見なさなくなるわけなので/○○萌え〜という文脈からは、○○(例えばめがねっ子とか←何故めがねっ子)を自分の分身のように感じているようには到底思えませんです。何だろう、モロに”傍観者(観察者)”ですよね…)
「哀れみ」は第三者的視点という点で「萌え」に相通じると思うのです。何だろう、「自分の内面世界を開示」自体は問題ではなく、「本人の内面世界にある極端に理想化された妄想部分だけ」を開示するのが問題なんじゃないかと。

っていい加減長文ウザいよorz 何かいつもすみません変な話題にばっか食いついていなごのように飛んできて(殺虫剤噴霧)
| 有河 | 2007/04/17 11:29 AM |
ええ、私が「不幸燃え」と表現したものは「悲し萌え」という表現でほぼ置換可能のはずです。「救い(カタルシス)をあまり与えない」(物語としての伏線よりも現実性を選び取る)傾向も「不幸燃え」に含むかな?

例えば当方の場合、クルーヤの肉体は「魔女狩り」で滅んでいます(=人間たちに殺されています)。クルーヤの死にゼムスが関与していればゲームシナリオをもってカタルシスが得られるものを。
私自身は「魔女狩り」のほうが(自分が)納得できるからそうしたに過ぎないのですが、「救いのない設定を好んでいるのかねえ……?」という自嘲込みで「不幸燃え」と言ってみました。

> 作者と作中人物の関係
元の文章が十分に練れていませんでしたな(汗)。

共感=「私はその感覚(に近いもの)を知っている」という認識
哀れみ=感情移入=「○○ってかわいそう」という感情表明

の意で用いていました。
以前、絵に関して「作者がどういう意図で作ったかどうかなんて受け取り手にとってはどうでもいいこと。作者さえ黙っていれば」と述べたことがありまして、本件においても同じ考えです。
作者が作中人物をかわいがろうが哀れもうが私は平気なクチみたいです。
が……
「作者が自分自身に陶酔しているのを作中人物に仮託しているのが見えてしまう」のは受け取り手として遠慮したい(苦笑)。
例えば「哀れみ」ならこんなケース ↓

[前提]
 作者にリストカット癖があるとする

[以下の条件の内、2点を満たせば完全にアウト]
・作者にリストカット癖があるのは公開された情報である
・自分の作中人物にリストカットさせつつ心の痛みを叫ばせる
・後書でその作中人物への同情を述べる

見えなきゃいいんですけどね、見えなきゃね。
| すばる | 2007/04/17 11:12 PM |
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